ガスホルダー
ガスタンクに「ぐんまちゃん」&「キノピー」が登場! [2014年〜現在]
ガスタンク(正式には「ガスホルダー」といいます。)は、10年に一度の検査が必要なガス設備です。
桐生のガスタンクは、2014年がその検査年になっておりました。
この検査にあわせて、今回ガスタンクの絵柄がリニューアルをされました。
2014 ゆるキャラグランプリで優勝(グランプリ)を獲得した、ぐんまちゃんが描かれたものです。
十二単(じゅうにひとえ)の衣装を纏ったぐんまちゃん。桐生は織物の街として有名ですが、この地の織姫伝説からご当地ぐんまちゃん(白滝姫バージョン)が採用されました。
その他にキノピー(桐生市のゆるキャラ)と桐生市周辺の山地のみに自生するサクラソウ科の植物「カッコソウ」が一緒に描かれています。キノピーは、桐生市の近代化遺産である織物工場ののこぎり屋根をモチーフにしたキャラクター。また、カッコソウは近年、環境省のレッドリストの絶滅危惧種TAに選定されていましたが、その希少性の高さから、平成24年5月には、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(通称:種の保存法)」の国内希少野生動植物種に指定された植物です。
曲面用に加工された特別な印刷シートを使い、仕上げられています。
「カッコソウの咲くまち桐生」という文字があるように、みんなに愛される桐生の新しいシンボルとして一見して下さいね!
織都桐生・おりひめのいるまち[2004年〜2014年]
桐生は昔、西の「西陣」、東の「桐生」と云われた織物の産地で、郷土カルタでは「桐生は日本の機(はた)どころ」と詠まれています。
桐生織物の起源は定かではないようですが、奈良時代(714年)東大寺献物帳に桐生から朝廷に差し出された「あしぎぬ」という絹織物が献上品目として記されており、この時期に発祥したものと考えられています。
平安時代には、この地からの税は絹と定められている事から、織物や養蚕が隆盛であった事もわかります。さらに南北朝時代に入ると「仁田山絹」と云われる織物が、桐生の産物として国内諸国に移出されるまでに発展していきました。
その仁田山絹にまつわるロマンチックな伝説があります。
上野国山田郡仁田山郷(現在の桐生市川内町)出身の「山田」と云う男子が朝廷に仕えており、ある時、ふと目にした「官女白滝姫」に恋してしまいました。慕う心を歌に託して、いくつも切々と詠んだそうな・・・。
そんな恋歌の数々に白滝姫の心は動かされ、この恋はめでたく成就。 めおと(夫婦)となった二人は、故郷の仁田山郷に戻り、姫君は里人に養蚕、機織などを伝えたとされるお話です。
織都桐生、織物にまつわる伝説は多数あり、「白滝姫(おりひめ)伝説」もそのひとつです。 1300年の歴史と伝統を持つ織物産地として、この「おりひめ」をモチーフにした図柄がホルダーに描かれています。
これって「サッカーボール」ですか?[1995年〜2004年]
みなさん、こんなガスタンク見たことありますか?
これが桐生ガスの本社構内にあったガスタンクです。「ガスタンク」とは通称で本当は「ガスホルダー」と呼びます。 ガスを貯蔵(ホールド)するための施設です。このペイントはガスホルダーのメンテナンスを行った時に塗装されたものです。桐生の街の真ん中にデェーンと構えてました。時々、マスコミの取材やら子供たちが課外学習・見学にと来社されることがあります。チョーでかいサッカーボールは、やはり目立つようですネ。 (塗装当時はJリーグ発足が華々しく取り上げられていた頃かな!?)
ガラ(柄)は2種類、昔みんなが学校の校庭で蹴飛ばしていたシンプルなものと「ボールメーカーのミカサ」さんのご協力による学童用のサッカーボールのガラです。幾何学模様と子供がボールを蹴っているさまが塗装されていました。
ガス燈
その「ほのかな明るさ」と「美しさ」に人々は魅了されました。
横浜に明治5年、日本ではじめてともったガスの明かり、その輝きは、新時代の「夢」と「希望」のシンボルでした。
以来、ガスは時代とともに活躍の場を拡げ、暮らしを豊かに彩り、産業の発展を担い、新しい文化を培ってきました。
そして現代から未来へ、ガスは私たちの暮らしとともに歩みます。
【桐生地区のガス燈設置個所】
・グリーン見来居(バラ園) ・桐生新川公園 ・桐生市役所 ・桐生明治館(LP) etc
桐生明治館(国の重要文化財)
明治11年に群馬県衛生所兼医学校として建てられた関東では数少ない初期洋風建築。小屋組が和風、外観装飾が洋風の典型的な“疑洋風”の建物となっています。西洋建築のモチーフと日本の伝統工法・造形とをみごとに融合させているのが特徴です。
なお、入口正面にガス燈が設置されています。